Horse Racing Cafe2号店(仮設)

Horse Racing Cafeの2号店(仮設)的なもの

社台SS供用種牡馬編纂(後編)

◆社台SSが導入した主な種牡馬〜00年代◆ 

in out
2000 エアジハード サッカーボーイ(→ブリーダーズSS)
   エルコンドルパサー トニービン(死亡)
   エンドスウィープ ペンタイア(→ビッグレッドファーム)
   スペシャルウィーク リアルシャダイ(種牡馬引退)
   ドリームウェル  
   ロッコ  
   エンドスウィープ  
2001 アグネスワールド ジェニュイン(→レックススタッド)
   アドマイヤベガ ティンバーカントリー(→UAE)
   フサイチソニック ノーザンテースト(種牡馬引退)
   ロッコ(→レックススタッド)
2002 アグネスタキオン アグネスワールド(→英)
   グラスワンダー エルコンドルパサー(死亡)
   クロフネ エンドスウィープ(死亡)
   バチアー カーネギー(→豪)
   ブラックホーク サンデーサイレンス(死亡)
   フレンチデピュティ ジェイドロバリー(→UAE)
2003 アドマイヤコジーン エアジハード(→ブリーダーズSS)
   ウォーエンブレム フサイチソニック(→レックススタッド)
   ジャングルポケット  
   スウェプトオーヴァーボード  
   タニノギムレット  
   ナリタトップロード  
   マンハッタンカフェ  
2004 アグネスワールド アドマイヤベガ(死亡)
   ゴールドアリュール ドリームウェル(→仏)
   シンボリクリスエス バブルガムフェロー(→ブリーダーズSS)
   ファルブラヴ メジロマックイーン(→社台SS荻伏)
2005 キングカメハメハ タヤスツヨシ(→ブリーダーズSS)
   ネオユニヴァース ナリタトップロード(死亡)
     ファルブラヴ(→英)
2006 アドマイヤドン  
   ザッツザプレンティ  
   シックスセンス  
   デュランダル  
   ファルブラヴ  
2007 オンファイア グラスワンダー(→ブリーダーズSS)
   スニッツェル ザッツザプレンティ(→レックススタッド)
   ソングオブウインド シックスセンス(→レックススタッド)
   ディープインパクト バチアー(→仏)
   ハーツクライ ブラックホーク(→ブリーダーズSS)
   リンカーン  
2008 サッカーボーイ オンファイア(→優駿SS)
   ダイワメジャー スウェプトオーヴァーボード(→ブリーダーズSS)
   ローエングリン スニッツェル(→豪)
     ソングオブウインド(→優駿SS)
2009 アドマイヤジュピタ アグネスタキオン(死亡)
   アドマイヤメイン アグネスワールド(種牡馬引退)
   チチカステナンゴ アドマイヤジュピタ(種牡馬引退)
   メイショウサムソン トワイニング(ブリーダーズSS)
2010 ヴィクトリー アドマイヤメイン(→南ア)
   カンパニー ローエングリン(→レックススタッド)
   ジェニュイン  
2011 ハービンジャー アドマイヤコジーン(→レックススタッド)
   デュランダル(→ブリーダーズSS)
   アドマイヤドン(→韓国)

 00年代の社台SSは言うならば逆風状態から始まった。期待外れに終わった種牡馬なら、それこそ前編・中編で紹介したように星の数ほど社台SSにも存在した。だが、ノーザンテーストを得てからの社台SSは80年代後半に導入したリアルシャダイを初めとして、90年代前半トニービン、そしてサンデーサイレンス導入と続けざまにスマッシュヒットを決めた。まさに、強い追い風をグループ全体が受けていた状態であったのだ。しかし、00年に入るとその風向きに少しずつ変化の兆しが見え始める。その変化が初めて表れたのが00年のトニービンリアルシャダイがそれぞれ迎えた死亡・種牡馬引退である。続く01年にはノーザンテースト種牡馬引退、そして02年には大黒柱サンデーサイレンスをまだ18歳という若さにも関わらず失うという衝撃に至る。80年代〜90年代の社台グループの隆盛を支えた種牡馬が僅か2年間で全頭、生産の表舞台から姿を消していったのである。
 また、彼らの次代を担うと期待されていた種牡馬も相次いでアクシデントに見舞われた。02年にはエルコンドルパサーエンドスウィープが若くして死亡。そして03年にはサンデーサイレンスの後継種牡馬候補としてまさに三顧の礼を持って社台SSに迎え入れられたウォーエンブレムの種付けに、皆さん御存知の通り大きな・・・本当に大きな問題があることが判明したのだ(ウォー様の種付け問題に関してはこっちの記事を読んでね)。
 サンデーサイレンストニービンを手に入れたことで、一時日高で囁かれたような「量」だけではなく「質」も伴った実績を毎年あげ続けた脅威の90年代が終わり、00年代前半の社台SSは彼らを失ったことによる大きな転換点を迎えていた。何よりも、絶対的存在であったサンデーサイレンスが抜けた穴をどのようにして埋めていくか、それが00年代を通しての社台SS、強いては馬産界全体の課題であったようにも思える。
 こうした点から一時的にせよ社台SSの勢いは衰えていくかにも思えた。だが、下記の表から00年以降の「GⅠ勝ち馬の父に占める社台SS供用種牡馬の割合」、また「リーディングサイヤートップ10に占める社台SS供用種牡馬の割合」(手集計なのでミスがあったらごめんなさい)を見るに、むしろその影響力は衰えるどころかサンデーサイレンスが死後一層強まっているように思える。これは一体なぜなのであろうか。後編はそのあたりについてひっそりと考えていきたい。

全GⅠ数 社台SS供用種牡馬 リーディング
産駒GⅠ勝ち数  ベスト10内数
2000 21  6  5
2001 21  8  5
2002 21  9  6
2003 21 14 6
2004 21 14 6
2005 21 16 7
2006 22 16 8
2007 22 16 9
2008 22 22 9
2009 22 15 10
2010 23 16 10

 
 まず容易に考え付く要因のひとつとして、単純に社台SSの供用種牡馬数が増加した点を挙げることができる。90年・00年・10年の供用種牡馬の内訳は中編に掲載した表を見ていただくとして、10年に供用された種牡馬数は90年と比較すると13頭増、00年と比較しても7頭増。社台グループのスタリオン事業はこの10年間も拡大一途にあった。だが社台SSは単純に規模の拡大を続けていたわけではない。毎年100頭以上の繁殖牝馬を集めていたにもかかわらずデュランダルが産駒成績が今一つのためか今年からブリーダーズSSに放出されたことから見て取れるように、毎年のように期待の新種牡馬を迎え入れる同スタリオン内での競争は非常に熾烈であり、そしてあくまでも社台グループは供用種牡馬に対してシビアであり続けていることが分かる。
 さて、社台SS供用種牡馬の影響力が大きくなった最大の要因として、今回は日本の馬産界における多頭数種付けの浸透という点から論じていければと思う。リース種牡馬シャトル種牡馬の登場など種牡馬ビジネスは90〜00年代に大きな変化があったことは中編にも記した。だが、最も大きな変化は1シーズンにおける種牡馬の種付け頭数の劇的な増加であろう。
 過去、欧米の生産界においては種牡馬の1シーズンの種付け頭数についてはある程度制限されるべきであるという風潮が長く続いた。それはせり市場における産駒の〝価値〟を守るという意味からもそうだが、多くの生産者は「多頭数種付けにより種牡馬自身の遺伝力が低下する」という点を特に懸念していたのだ。そのため一流種牡馬の種付頭数も50頭前後がごくごく当たり前となっていた時代が長く続いた。
 そうした風潮に風穴を開けたのがCoolmoreであった。90年代に入ると、Coolmoreによってシャトルスタリオン事業がスタートしたのだ。北半球・南半球では季節が逆という特性を最大限に活かしたシャトルスタリオン事業は、高騰する一方であったシンジケート額を早期回収する有効な手段として一気に各スタリオンの間で普及することになる。これにより一部の人気種牡馬は50頭どころではなく1シーズンに100頭以上の種付けをこなすことがごくごく当たり前になっていく。例えば、世界最高額と言われるシンジケートを組まれたFusaichi Pegasusは北半球・南半球併せて1シーズンで346頭もの繁殖牝馬に種付けをしているのだ。
 このようにCoolmoreがまず先鞭をつけた多頭数種付け事業は瞬く間に世界に広がっていくことになった。それは日本の生産界においても決して例外ではない。事実、社台SSに供用されている種牡馬を中心に90年代半ばから一部の有力種牡馬の種付け頭数は急増することになる。
 90年代以前、日本においても多頭数種付け自体に対する認識は欧米とほとんど差がなかった。アラブのタガミホマレが270頭に種付けを行った記録も存在するが、サラブレッドに限って言えばフジオンワードが1974年に記録した152頭が長らく記録として残っていたように、どの年も最多種付頭数は多くても100頭前後。さらに、100頭以上の種付けを行った種牡馬が存在しない年もそれほど珍しくはなかった。
 だが、Coolmoreの多頭数種付け事業に触発されたか、はたまた獣医面での技術の進歩が背中を押したのか、社台SSが多頭数種付けに乗り出すと状況は一変する。社台SSに供用されている種牡馬を中心に1頭がカバーする種付け頭数は伸び始め、96年、183頭に種付けを行ったサンデーサイレンスにより、ついにフジオンワードが20年以上持ち続けてきた記録が更新されたのである。そしてその後も種付け頭数は伸び続け、00年、またしてもサンデーサイレンスによってついに200頭の壁が突破されたのだ。その後、当時は記録的数字と言われた「種付け頭数200頭」もサンデーサイレンスの後継種牡馬が中心勢力となってからは特に珍しいものではなくなり、10年はキングカメハメハの266頭をはじめとする9頭の種牡馬によって200頭超えが達成されている。このように一昔前では考えられないような数の繁殖牝馬を1頭の種牡馬が相手にすることが可能になったことが、社台グループの資金面に限らず社台SSの競馬界全体における影響力強化に最も貢献していると言えるのではないだろうか。
 多頭数種付けについては今も賛否両論が存在する。種付け回数の増加によって種牡馬自身の遺伝力が低下するのではないかという一昔前の批判については、影響が無いことを示す論文が発表されもしたが、ここ10年の社台SS供用種牡馬が出した実績、さらに言えば毎年300頭以上に種付けする(純粋な種付け回数ならそれ以上)シャトル種牡馬の産駒が結果を出し続けていることがそうした批判が意味をなさないことへの何よりの反論となる。アグネスタキオンの死亡時(死因は心臓発作とされる)に言われた、「多頭数種付けに起因される種牡馬の早逝」については両者の間に全く相関関係が無いとは言うことはできない。だが、上記の表「社台SSが導入した主な種牡馬〜00年代」において「死亡」した種牡馬の中で果たして多頭数種付けに死因を起因させることができる種牡馬アグネスタキオンの他にどれほどいるかという疑問も浮かんでくる。それでは多頭数種付けが可能となったことにより、一部の人気種牡馬繁殖牝馬が集まることで「血の偏りが生じる」という批判はどうか。
 日本競馬が90年半ばから急速にレベルアップしたことは紛れも無い事実であろう。そのレベルアップは調教・育成技術の進歩、円高に伴う良質な外国産馬、優秀な繁殖牝馬導入とほぼ全ての面でのレベルアップによって成し遂げられたものである。そして、そこにはもちろんサンデーサイレンストニービンに代表される優秀な種牡馬の存在も含まれている。確かに、それ以前にも日本には優秀な種牡馬が供用されていた。だが、既に述べた通り多頭数種付けに対して生産者側に強い懸念が存在していたことに加え、様々な事情から彼らは1シーズンに多くの牝馬を相手にすることができなかった。例えばノーザンテーストは交配数を増やすと受胎率が落ちる傾向にあるとされ、種付け頭数は毎年60〜70頭前後、一番多く種付けした年でも三桁には届かない98頭であった。またトウショウボーイ軽種馬協会の保有する種牡馬であり、ニホンピロウイナーは馬主の意向から年間の種付け頭数を60頭までに限定していた。そのため、彼らがたとえ今現役の種牡馬であったとしてもサンデーサイレンスのように年間200頭もの種付けを行うことは環境的に難しい。そういった意味ではノーザンテーストは確かに優れた種牡馬ではあったが社台と日高、その差を絶望的なまでに開かせる影響力は無かった(その後、繁殖牝馬となったノーザンテースト牝馬が絶望的なまでの差を作る要因の一つにはなったが)。だが、ノーザンテーストには難しかった多頭数種付けが時代の助けを得たことで歴史的名種牡馬となるサンデーサイレンス、そしてその後継種牡馬たちにはそれが可能となった。ここに90年代以降の社台グループと日高の間で生じた明確な差の最大の原因があり、それと同時に日本競馬の急速なレベルアップの要因も発見することが出来る。
 サラブレッドの歴史はその「淘汰」の歴史でもある。優れた種こそが残されるべきであり、それこそが生産者の唯一の目的になってしかるべきである。そのため、1頭の優れた種牡馬の元に繁殖牝馬を大量に集めることは、優れた産駒(=種)を産み出す最大の近道であり至極妥当な判断とも言える。だが、それは同時に他の種牡馬の「機会」を奪うということでもあることを忘れてはならない。事実、日本で供用される種牡馬の数は生産頭数の減少もあり90年ごろの約700頭をピークとして減少一途、10年にはピーク時の半分以下の328頭、その中でも種付けを実際に行った種牡馬となるとさらにその頭数は減り269頭。何度も言うように、「優れた競走馬」を生産することが生産者の目的だとしたら多頭数種付けは圧倒的に正しく、実に合理的な判断である。そして、バブル期とは違い1頭のサラブレッドを売ることの難しさを考えた時、それは仕方が無いことでもある。
 だがその性格上、どうしても「馬券」と結びつかざるを得ないのが我が国の競馬の本質であり、それがゆえにファンの存在は有馬記念の存在に代表されるように古くから重視されてきた。ちょうど「興行」と「スポーツ」の狭間で大相撲が揺れている。レースに手が加えられることは言語道断。そして日本競馬の更なる進歩を考えたとき、弱者に肩入れすこと、強者に制限を課すことの馬鹿馬鹿しさも十二分に承知しているつもりではある。だが、生産においても「手を加える」、すなわち遊び心を披露する余裕すら今の馬産にはほとんど無いのだとしたらそれは少し寂しすぎるのではないかなと個人的には思わざるを得ない。昨今目立つ外国人騎手への騎乗依頼偏重も元々の根は同じだが、競馬に携わる誰もが競馬本来の目的を追求しているがゆえに現実世界のみならず競馬においてもそういった「厳しさ」とファンは向き合っていかなければならないのだとしたら、それを今の時代に趣味として長く付き合っていくにはやや重過ぎるのではないかなと。1900万馬券ではないが、せめて競馬には夢がほしい。だがそれを許すだけの余裕が馬産地にも、そしてJRAにも無くなってきている。
 さて、社台SSに話を戻そう。今後10年を考えたとき、早田牧場のようなイレギュラーな事態が発生しない限りは今の社台SSの絶対的優位性が崩れることはない。ラムタラ導入以後、軽種馬協会を除けば現状を打破することができる大物種牡馬を導入する力は日高には最早無い。そして何より、社台SSがサンデーサイレンス死後に築き上げたそのブランドイメージはそう容易く壊れるものではない。「サンデーサイレンス」という最高級のブランドを失った後、社台SSが目指したのはこれまでのように「弾を打つ」ことで再び異能が登場することを待つだけではなく、例えるなら「社台SS」というスタリオン全体をブランド化するという戦略であった。それを推し進める上で戦略上大きく貢献したのがセレクトセールなのである。そこでは有力馬主たちが信じられないような額で社台SS供用種牡馬の産駒を購入していったのだ。
 だがそうした戦略には落とし穴も存在する。そうして作られたブランドはサンデーサイレンスのように産駒が実績を残した結果として生まれたブランドと決してイコールではないのだ。極端に言えば、新種牡馬などは産駒がまだ1頭も競走年齢に達していないにも関わらず種牡馬としてのブランドが産まれることもありうることになる。そのため、言わばハリボテ状態にあるブランドを本物のブランドにするべく新種牡馬には初年度から良質な繁殖牝馬を集めることを余儀なくされる。そして、現役時代に活躍した馬ほどこうした循環に組み込まれる可能性が高まる。そして、そのブランドイメージは高すぎる期待やサンデーサイレンスと比較される点で非常に危ういものなのだ。考えてみると何とも不健康な状態である。サンデーサイレンスのように毎年安定して有力馬を複数送り出せる種牡馬はほとんどいない。ほとんどの種牡馬の活躍はどれだけ優秀な繁殖牝馬を集められるか、「数」の勝負となっている。つまりそういう意味では、サンデーサイレンス死後、群雄割拠状態(五十歩百歩とも言える)の種牡馬界を見極め、近年種牡馬ではなくアゼリ、ジンジャーパンチなどに代表される繁殖牝馬の導入に力点を移しつつある社台グループの戦略は圧倒的に正しい。仮にどの種牡馬にもほぼ同じ程度の力があるとするならば、社台SSのブランドイメージを保持する最大のポイントは繁殖牝馬に他ならないのだ。そして社台が躓く可能性があるとするならばその循環が上手く機能しなくなったときなのである。
 そうした点を踏まえ、独走する社台を追いかける存在としてダーレー・ジャパンがその対抗軸として名乗りを上げることに期待する声もある。なるほど、確かに規模・スタリオンの急速な拡大体制もそうだが生産馬からもダノンシャンティを出すなどいよいよ軌道に乗ってきた。だが彼らのこれまでの道程を踏まえるに、今彼らが歩みつつある道、すなわち「規模の追求」の先にあるのは所詮社台のカーボンコピーという結果にすぎない。オリジナルが磐石の地位を占めている世界でコピーがそれを超えることがどれだけ難しいかは今更言うまでもない。これまでの日本競馬に対するアプローチをどこで一度見直すことが出来るか、それが彼らが一層飛躍するための鍵となろう。コマンズに繁殖50頭用意などのニュースはよくも悪くも面白い話だと思うのでなんとか結果を出し対抗軸に育ってほしいところだが、さてさて。