Horse Racing Cafe2号店(仮設)

Horse Racing Cafeの2号店(仮設)的なもの

激動の20世紀を生き抜いた伝説の名ジョッキー

昨日、本屋をブラブラ歩いていたら発見したので購入。2007年現在ではケンタッキーダービーを制した最後の黒人騎手であるJ.Winkfieldについての本。当時の黒人騎手を取り巻いた環境などに加え、ロシア競馬などが記述されておりなかなか興味深い。

year horse jocky
1875 Aristides O.Lewis
1877 Baden Baden B.Wallker
1880 Fonso G.Lewis
1882 Apollo B.Hurd
1884 Buchanan I.Murphy
1885 Joe Cotton B.Henderson
1887 Montrose I.Lewis
1890 Riley I.Murphy
1891 Kingman I.Murphy
1892 Azra L.Clayton
1895 Halma S.Perkins
1896 Ben Brush W.Simms
1898 Plaudit W.Simms
1901 His Eminence J.Winkfirld
1902 Alan-a-Dale J.Winkfirld


ケンタッキーダービーを制した黒人騎手を挙げてみた。この表から見ても分かるように黒人騎手によるケンタッキーダービー制覇は1902年Alan-a-Daleを駆って優勝したJ.Winkfirld以来途絶えている。というか、それ以降は黒人騎手がケンタッキーダービーに騎乗した例すら珍しいものになっている(一応、最後の騎乗者は1921年Behave Yourselfが勝ったレースにおいて10着に入ったPlanetに騎乗したH.Kingとされている)。同じようにアメリカ社会では比較的マイノリティ的立場にいるとされる女性にしてもEmma-Jayne WilsonやらAnna Rosie Napravnikなどの女性騎手が競馬社会においては活躍しているにもかかわらず、現代のアメリカ競馬においては黒人騎手はほとんどいないとも言える(厩務員としては結構よく見るけれど)。めぼしい所では昨年の全米リーディング97位(賞金順)のDeshawn L. Parkerになるのかな。


しかし、かつてはアメリカ競馬においても黒人騎手が白人騎手を凌駕したいた時代もあった。ケンタッキーダービーにしても、上記の表からも白人騎手と互角以上に黒人騎手が渡り合っているのが見て取れるし、リーディングにしても記録が残っている1885年から少なくとも5回は黒人騎手がトップに立っていることが分かっているそうだ。その黒人騎手の代表格として挙げられるのが、I.MurphyとW.Simmsになる。J.Winkfieldについては本を買えばよ〜く分かるので、非常によく知られていることだがI.MurphyとW.Simmsについて非常に簡単ながら記述。


I.Murphy
I.Murphyは上記の表からも分かるようにケンタッキーダービー3勝を挙げた名騎手であり、他にもアメリカンダービーを4勝(ちなみに第1回から三連覇)、ラトニアダービーを5勝するなど19世紀後半のアメリカ競馬を代表する騎手である。1895年に引退するまでに18年間の騎手生活で1538戦530勝、勝率三割強という驚異的な成績を残し、その後肺炎のため1896年に死去。I.Murphyの最大の武器としてはペース判断の的確さ・視野の広さが挙げられ、友人のBillyは「何度試してみても、どれくらいの速さで走っているか、ほとんど間違えることはなかった」と晩年述べている。


W.Simms
W.Simmsについて欠かすことの出来ないものとしては英国でモンキー乗りを初披露したことではないかと。世間一般では英国にモンキー乗りを広めたのはJ.F.Sloan(1899年英1000ギニーをSibolaで、1900年アスコットゴールドカップをMermanで制覇した名ジョッキー)とされているが、実際はJ.F.Sloanが渡英する数年前にW.Simmsは英国でモンキー乗りを披露していたとされる。渡英する前にベルモントS制覇や全米リーディングを獲得していたW.Simmsであったが、あまりにも当時の英国競馬においてモンキー乗りは革新的?すぎて(黒人騎手に対する差別などの要因もあったと思うが)W.SimmsはJ.F.Sloanほどの騎乗機会に恵まれず4ヶ月で19戦4勝に終わったという。しかし、W.Simmsは帰国してからもBen Brushでのケンタッキーダービー制覇やPlauditでの二冠制覇など活躍した。