Horse Racing Cafe2号店(仮設)

Horse Racing Cafeの2号店(仮設)的なもの

遠征について考えてみる

 ■急転!!サムソン凱旋門賞に行く!
 日曜日に起きて早々この記事を見たときはさすがに我が目を疑いましたが、記事を見る限り肝心のオーナーと高橋成調教師のコメントがないのが記事の信憑性にクエスチョンマークを付けざるを得なかった。他の新聞では遠征断念の記事が出ていたのだが、その最大の理由として、ウオッカの遠征断念の際にも述べられたようにただ参加するといったオリンピック精神ではなく、あくまでも「勝つためのフランス遠征」ということを高橋成調教師は述べていた。勝つために何が必要なのか考えた結果が現地で一度ステップレースを使うことであり、馬インフルエンザに感染した現状ではフォワ賞を使うことは困難であろうから本番も含めて回避した方がいい、との結論を午前中に下したのだが、午後に取材したスポニチによると感染後もサムソンは元気に調教は積んでおりフォワ賞出走も日程上は可能とのことから急遽遠征決断したと…

 と思っていたら月曜になって
 
 ■結局断念 サムソン来年「凱旋門賞」
 との記事。フランスギャロから熱烈なラブコールがあっても結局遠征は断念と。その理由として、やはり上に述べたように前哨戦となるフォワ賞を使うことが難しい(理由として今度は中京で検疫を受けなければならず、日程的に厳しいと)ことが挙げられています。やはり、サムソン陣営の心の中では凱旋門賞挑戦の為にはまず9月16日のフォワ賞を使うことが前提条件に入っており、その条件が満たせない以上は本番で万全の状態で臨める見通しがないために馬のためにも使うべきではないとのことなのでしょう。
 ところで、この2つの記事を見ていて思ったのが、武豊が「欧米では10日〜1週間前に入国するのが当たり前」と言ったという記事。確かに、欧米ではそれが普通であり日本でも近場の香港遠征などでは10日前前後に現地入りすることも多くなってきている。ただ、それを気候も環境も異なる欧米に日本馬が遠征する際も当てはめていいのかなと疑問に思ったり。年末恒例になった香港遠征や7月のアメリカンオークス遠征に比べて、まだまだ欧州遠征にはノウハウの蓄積が足りないとも思ったり。そこで、日本馬が欧米に遠征した際、現地入りしてからレースまでの滞在日数を分かる限り調べてみた。

馬名 出発日 レース名(日時) 着順 日数
サクラローレル 1997年8月20日 フォワ賞(9月14日) 8着 25日
シーキングザパール 1998年7月22日 モーリスドギース賞(8月9日) 1着 17日
タイキシャトル 1998年7月21日 ジャックルマロワ賞(8月16日) 1着 24日
シーキングザパール 1999年1月18日 サンタモニカH(1月23日) 4着 5日
エルコンドルパサー 1999年4月14日 イスパーン賞(5月23日) 2着 39日
アグネスワールド 1999年9月16日 アベイドロンシャン賞(10月3日) 1着 19日
アグネスワールド 2000年6月13日 キングズスタンドS(6月20日) 2着 7日
エアシャカール 2000年6月13日 キングジョージ(7月29日) 5着 46日
マルターズスパーブ 2000年10月30日 ブリーダーズCフィリー&メアターフ(11月4日) 13着 5日
アグネスワールド 2000年10月30日 ブリーダーズCスプリント(11月4日) 6着 5日
エアトゥーレ 2002年7月21日 モーリスドギース賞(8月11日) 2着 20日
イーグルカフェ 2002年9月4日 ドラール賞(10月5日) 3着 31日
マンハッタンカフェ 2002年9月4日 凱旋門賞(10月6日) 13着 32日
テレグノシス 2003年8月5日 ジャックルマロワ賞(8月17日) 3着 12日
ローエングリン 2003年8月5日 ジャックルマロワ賞(8月17日) 10着 12日
イングランディーレ 2004年6月5日 アスコットゴールドC(6月17日) 9着 12日
シーキングザダイヤ 2004年6月19日 ジュライC(7月8日) 12着 19日
ドルバコ 2004年6月19日 シティウォールS(7月10日) 4着 21日
ダンスインザムード 2004年6月21日 アメリカンオークス(7月3日) 2着 12日
タップダンスシチー 2004年10月1日 凱旋門賞(10月3日) 17着 2日
パーソナルラッシュ 2004年10月21日 ブリーダーズCクラシック(10月30日) 6着 9日
キーンランドスワン 2005年6月11日 ゴールデンジュビリーS(6月18日) 10着 7日
シーザリオ 2005年6月20日 アメリカンオークス(7月3日) 1着 13日
ゼンノロブロイ 2005年7月19日 インターナショナルS(8月16日) 2着 27日
ハーツクライ 2006年7月16日 キングジョージ(7月29日) 3着 13日
ピカレスクコート 2006年8月9日 ダニエルヴィルデンシュタイン賞(9月30日) 2着 52日
ディープインパクト 2006年8月9日 凱旋門賞(10月1日) 3位入線失格 53日

 ※香港・ドバイ遠征は毎年ほぼ2週間前後なので省いております

 日本を出発してからレースまでの日数が一番多いのは昨年のディープインパクト、なんと渡仏してから53日。タップダンスシチーの強行遠征を除くと、最も少ないのはシーキングザパールアグネスワールドの米国遠征で5日。これに関して、森調教師はアメリカと日本で調教内容の違いを挙げている。すなわち、日本では坂路調教が主体だが、アメリカではコース追いが主体なので不慣れな調整をして体調を崩すことを避けた、と。このように、全体的に米国遠征については短期間の遠征が主流となっている(長くても2週間程度)のに対して、欧州では坂路調教も可能であるためジックリと時間をかけて現地の環境に慣らすという馬が力を発揮する上で必要なことが可能であることが分かる。環境に慣らすことに関しては、昨年のハーツクライの遠征時に橋口調教師が「来年来る機会があったら、今度はもう一週間早く来たい」と述べていたことも印象深い。アメリカ遠征と欧州遠征の日数に差があることは現地での調整内容にも原因があるのだろう。
 それにしても、ディープインパクトの53日というのは改めて見てみると長いと感じる。こうした長期間の遠征になった理由としては、やはりあの馬がデビューしてから一度も放牧に出たことが無いという現代競馬からしてみると珍しい事情があったことが影響しているのかなと(同じく凱旋門賞に出走したマンハッタンカフェの場合、夏は社台ファームに放牧に出されている)。放牧に出ず暑い栗東で調教を積むくらいなら早めに現地入りして環境に慣れさせたほうがいいとの判断があったのであろう。ただ、今後他の馬がこのような異例とも言える長期遠征(しかも、1戦のみ)を出来るのかというと、実現する可能性は低いだろう。なにより、このような長期間にわたって遠征をするということは日本に残る厩舎スタッフに負担になり他の管理馬への目が行き届かない可能性も高いし(実際、昨年の池江郎厩舎は夏場成績があまり芳しくなかった)、招待レースではない場合滞在費の問題も出てくる。やはり「日本競馬の至宝ディープインパクト」(C)檜川アナだからこそ認められたことなのであろう
 さて、話は戻ってメイショウサムソン。たとえ、昨日出ていたように9月上旬に遠征したとしてもフォワ賞まで1週間ほど、凱旋門賞までは約3週間。フォワ賞出走はやや強行かもしれないが凱旋門賞出走(ぶっつけ)へは過去の遠征例から察するに何ら問題が無いように思えた。ただ、やはりサムソン陣営からしてみると「勝つための挑戦」を明言していた以上、一度大幅に狂った遠征プランを再構築することの難しさ(ノウハウも不足気味)を考えると今回の挑戦を見送ったことはサムソン自身の将来を考えてみても妥当なところなのであろう。