Horse Racing Cafe2号店(仮設)

Horse Racing Cafeの2号店(仮設)的なもの

キーレン・ファロンがボロクソに書かれている件

 最近、1週間に2〜3日は大学図書館に篭って勉学に励んでいるわけですが今日ものんびりと勉強しながら、気晴らしに面白そうな本を探していたところ「英国競馬百科事典」なる本を思いがけず発見。2004年に英国で発行されたものを、競馬国際交流協会が和訳して刊行した本らしい(非売品)。内容自体は競馬の用語を分かりやすく(時にはクドイほどに)解説している本であり、例えば「騎手」ならば

騎手(Jockeys)
 騎手は並外れたスポーツマンである。体格、年齢、性別、そして職業上の危険性の点で他のスポーツマンとは対照的である。週六日あるいは七日が増えてきているが、一日五回ないし六回−薄暮開催ではさらに多い−精神的、肉体的に頂点に達することを期待され、仕事に行くたびに重傷を負うリスクがあり、体重を基準よりかなり下に保つためにつねにダイエットを余儀なくされる、そんな職業が他にあるだろうか?

 とまあ、こんな調子で競馬用語が解説されていくわけである(ちなみに「騎手」の用語解説は上の文のあと約10倍)。もちろん、用語だけではなく英国の誇る名馬や名騎手・調教師などにも解説文が付いており、サラッと見ただけでもダンシングブレーヴMill Reef、Vincent O'BrienやLester Piggottなどは当然のように収録されていた。他にも競馬の発展に寄与した人物の多くが収録されていたが、中でも数少ない現役の騎手?の一人として収録されていたのが、あのKieren Fallonだった。

キーレン・ファロン(Kieren Fallon)(1965−)
 キーレン・ファロン(Kieren Fallon)は騎手になった初期に六回リーディング・ジョッキーになり、その名前の正しい綴りに関して競馬記者たちを驚かせたが、この記者たちの驚きに劣らず、のちに競馬場内外の行動で馬主や調教師も驚かせた。彼にはその騎乗の才能に匹敵する、人を逆なでする能力が備わっていた

 いきなり凄い書かれようである。一応もう一度いっておくがこれが英国で発行されたときは2004年であり、その時はまだ例の八百長疑惑も無いし、コカイン使用発覚もまだ。その段階でこれだけ書かれるのだから凄いぜ、ファロン!。
 この後は、ファロン自身の経歴が書かれ、もちろん飛躍のキッカケとなったHenry Cecilとの蜜月時代の事についても書かれている。だがそれ以上に主だって書かれているのが彼自身にまつわるトラブルの歴史なのだ。

1994年ビバリーでのレースの後、ライバル騎手のスチュワート・ウェブスターを馬からいきなり引きずり下ろす。殴り合いになり、ウェブスターは鼻の骨を折り、ファロンは6ヶ月間騎乗停止。
1995年ニューマーケットでのレース後、調教師のリンダ・ラムズデンが彼女の調教する馬をその実力で走らせていないと「Sportig Life」から訴えられ、ファロンは騎手としてそれに関与。後に、Sportig Lifeは敗訴。
1996年:Bosra Shamで臨んだエクリプスSでの騎乗をセシルから公然と非難される
1999年:セシルの妻との不倫関係が噂され、セシルとの契約が解除される
2002年:マイケル・スタウトとの専属騎手契約が解除される(後にフリー騎手として雇用へ)。数人の馬主、なかでもアガカーンがファロンを自分の馬に騎乗させることを望まなかったためとされる。また、テレビの調査番組で香港のギャングと通じていた男としてファロンが名指しされる。十分な証拠の無い断言を繰り返しているとしてファロンはタブロイド誌を訴える
2003年アルコール依存症で治療を受けていることを明らかに

 箇条書きでズラッと書いてみたが、改めて見てみても凄い経歴である。これだけトラブルに巻き込まれながらも、3年連続の年間200勝を達成するなど英国競馬史に残ると言えるその実績はまさに「英国競馬百科事典」に掲載されるに相応しいものに違いない。
 そして、この実績を引っさげ、満を持してバリードイルの主戦騎手になるのだがもちろん彼自身のトラブルがこれで終わることはありえなかった。バリードイルで迎えた初シーズンである2005年こそHurricane Run凱旋門賞を制するなど大活躍を演じ、平穏に終わったものの、翌2006年には例の八百長疑惑によって判決が出るまで英国での騎乗停止が始まることになる(さらに年末に仏で薬物使用発覚によって6ヶ月騎乗停止)。八百長疑惑自体は裁判で一応のところ2007年12月に「無罪」が確定したが、それ以上に彼にとって大きかったのは無罪確定とほぼ同時にまたしても発覚してしまったコカイン使用。彼に下された処分は18ヶ月の騎乗停止。今まで彼が歩んできた道を考えたら、この試練もあっさりと乗り越えてしまうのかもしれない。だが、復帰予定の2009年夏には44歳を迎える彼にとってこの18ヶ月という空白期間はこれまでにないほど大きいものであることも間違いないのである。