Horse Racing Cafe2号店(仮設)

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ウォーエンブレム種付け騒動まとめ

 種付け頭数39頭。一昔前ならまだしも、もはや100頭以上の多頭数交配が常識となった現代の馬産においてはそれほど優れた数字とは言えない。ましてや、アグネスタキオンの229頭を筆頭に200頭以上の種付けをこなす種牡馬がズラッと揃っている社台SSにおいてならば39頭など埋もれてしまう数字であろう。だが、この39という数字がウォーエンブレムが今年種付けに成功した頭数と知ったらどうだろうか。この数字はとたんに大きな意味を持ち始めるだろう。そしてこの気難しい馬に携わり続けた関係者にとってはこれほどまでに自分たちの選んだ方法の正しさを示す数字は無いのではないだろうか。
 先週の秋華賞ブラックエンブレムが10番人気の低評価を覆し見事な勝利を見せた。僚馬であるプロヴィナージュの出走(ポルトフィーノ除外とも言う)に関連して巻き起こった小島茂調教師のブログ炎上騒動や飛び出した1000万馬券などレース後も話題には事欠かなかった今年の秋華賞だが、その数ある話題の中にはもちろんウォーエンブレム産駒の初GⅠ制覇も含まれている。そして、その勝利はウォーエンブレムの仔たちが持つ貴重性・魅力をさらに高める1勝でもあるのだ。今回はウォーエンブレム産駒の初GⅠ制覇とウォーエンブレム自身の種牡馬としての再起成功を記念し、この迷種牡馬が来日してからの記録を簡単にまとめてみた。
2002年
 2002年8月19日、日本の競馬を根本から変えたサンデーサイレンスがこの世を去った。ノーザンテーストでその足場を固め、サンデーサイレンストニービンを発掘することによって日本の馬産界における「王国」へと上り詰めた社台ファームにとって、その後継種牡馬を探すことは急務とされるようになった。それに伴い、スウェプトオーヴァーボードの導入やこの年のJCを制したファルブラヴの権利をレース後に購入するなど海外からの種牡馬導入にも積極的に動き始めるようになったのである。中でも、社台ファームの代表である吉田照哉氏はサンデーサイレンスに似た黒鹿毛の馬体を誇り、同じくケンタッキーダービープリークネスSを制した米国二冠馬であるウォーエンブレムに目をつけた。実際、ウォーエンブレム導入決定後のインタビューで吉田氏はこのように語っている

 この馬は、不思議なくらい随所にサンデーサイレンスと共通する部分があります。ケンタッキーダービーとプリーネスS、制したレースも同じですし、青光りする漆黒の馬体(ウォーエンブレム黒鹿毛ですが)、顔の一筋の流星など外見もそっくりです。また、アメリカを代表する父系と、どちらかといえば地味な母系とのアウトブリード配合や、それゆえの比類なき勝負根性などもサンデーサイレンスを彷彿とさせます。もちろん、そのようなことばかりを意識して同馬を購買したわけではありませんが、種牡馬として成功する要因を考えるにつけ、この共通点はたいへん心強い材料に思えてきました。馬体重は470キロ〜480キロのバランスのとれた中サイズで、全体としてきわめてシャープな印象を与える馬です。また、いかにも軽そうな顔と気の強そうな顔つきが、わたしは特に気に入っています。

 このコメントからも十分すぎるほどのウォーエンブレムに対する社台SSの期待が伝わってくる。言わば、ウォーエンブレムサンデーサイレンス後の時代へと向けて社台SSが撃った最初の弾であったのだ。だが、事はそう上手くはいかない。ウォーエンブレムは種付けにほとんど興味を示さなかったのである。
2003年(種付け頭数7頭→血統登録4頭)
 社台SSはウォーエンブレムに種付けシーズンに入るや否や社台グループを中心とする100頭以上の繁殖牝馬への種付けを試みる。しかし、それに成功したのは僅か7頭と完全に商業ベースの種付けを断念せざるを得ない結果に陥ってしまったのだ。そのため、総額1700万ドルで結成したシンジケートは解散せざるを得なくなり、保険会社4社中3社が1330万ドルの保険金を支払ったことによってウォーエンブレムの所有権は一旦保険会社の手に渡ることになった(すぐに社台グループが買い戻す意向を示す)。以後、外部から繁殖牝馬を集めることが難しい状況に置かれることになったウォーエンブレムはその産駒のほとんどが社台グループによる生産となる。
2004年(種付け頭数53頭→血統登録33頭)

Switcheroo Seems to Be Working With War Emblem
The resourceful Shadai team employs a switcheroo tactic in which the Eclipse Award winner is teased with mares he likes, then those mares are substituted for ones for whom he had previously shown a dislike. Last year, War Emblem didn't cover his first mare until March 9 and covered five more in the next several days before regressing.

 種付けに興味を見せないウォーエンブレムに対して関係者が用いたのは〝Switcheroo〟という方法である。これは、ウォーエンブレムが種付けする意欲を示す繁殖牝馬を最初に見せることで興奮させ、その後の本番では別の繁殖牝馬をあてがうという男からしてみたらかなりえげつない方法であった。だが意外にもこの方法は一定の効果を見せ、この年のウォーエンブレムは結局50頭以上の繁殖牝馬に対して種付けすることに成功したのである。
2005年(種付け頭数9頭→血統登録5頭)
 2004年に導入したSwitcherooの効果もあり一旦は改善したかに思えたウォーエンブレムの種付け問題だが、翌2005年のシーズンになると再び種付けに難を見せるようになる。結局、この年の種付けに成功した頭数は10頭以下とそれ以前の数字に逆戻りしてしまう。
2006年(種付け頭数1頭→不受胎)
 ウォーエンブレムの種付け問題はさらに悪化する。この年、100頭以上の繁殖牝馬に試したものの結局種付けに成功したのは僅か1頭。加えて、その繁殖牝馬も結局は不受胎に終わってしまったことにより、この世代(現1歳世代)にウォーエンブレムの産駒は存在しない。この事態を受けて吉田氏はこうした種牡馬の治療経験があるアメリカの牧場にウォーエンブレムを送ること、また実際にあちら側から接触があったことについて触れているが結局この話はお流れになった模様。
 また、ウォーエンブレムのファーストクロップが2歳となりデビューしたのもこの年。翌年には2歳戦で勝ちあがっていたクランエンブレムを含めアドマイヤミリオン・ショウナンライジン・ウォーゲームの4頭すべてが中央競馬で勝ちあがることに成功する。この記録はウォーエンブレム種牡馬としてのポテンシャルが示される例となった。
2007年(種付け頭数0頭)
 この年、ついにウォーエンブレムは一度も種付けに成功することなく種付けシーズンを終えることになる。

War Emblem Has Another Fruitless Season at Stud
When asked what might be done to remedy War Emblem’s lack of desire to breed, Teruya Yoshida said:“We don’t have so much interest to improve him now. We have tried many things and we are tired of that.

その為か、社台ファーム代表の吉田氏はインタビューで「もうそれほどウォーエンブレムを改善させようという気もあまり無いよ。これまで多くのことをやってきたからね…。もう疲れた」といきなり投げやり気味(若干のジョークもあると思うが)のコメントを残している。
2008年(種付け頭数39頭)
 そして2008年。2年連続で産駒0頭、種牡馬として失格の烙印を押されたと言っても過言ではなかったウォーエンブレムだが、事態は一気に好転を迎える。そのきっかけは2月に入ってショウナンアルバ共同通信杯を制し、父ウォーエンブレムに初の重賞タイトルをプレゼントしたことから始まったのであろうか。その後、エアパスカルブラックエンブレムが次々に重賞制覇。これらの勝利で改めて種牡馬ウォーエンブレムの高いポテンシャルを見せ付けると、6月半ばにはついにウォーエンブレム自身が種付けを再開することができたとの報道がなされた。

War Emblem Now Breeding to Mares Daily
Since mid-May, War Emblem has bred one or more mares each day. He is now responding normally to most mares presented.
War Emblem Making Progress
“Now about 70% are OK for him, but the other 30% remain very difficult,” Tsunoda said. “And if he hates a type of mare, he attacks them.”Some of War Emblem’s peculiarities have included a dislike for large mares and an attraction to chestnuts over females of other colors, said Shadai spokesperson Mariko Yoshida.

 要約:5月半ばから一日に1頭からそれ以上の牝馬に種付けすることができるようになった。今ではもっと多くの牝馬に種付けできると思う。ただ70%の繁殖牝馬は大丈夫だが、残りの30%はちょっと厳しい。そして、嫌いなタイプの場合ウォーエンブレムは攻撃すると。ちなみに、ウォーエンブレムの嫌いなタイプの牝馬は大柄の牝馬、反対に好きなタイプの牝馬は栗毛だそう。
 そして、この突然のウォーエンブレムの再起に大いに貢献したとされるのが米ペンシルベニア大学のDr.Sue McDonnellである。
 Dr.Sue McDonnellの簡単な経歴はこちらを見ていただくことにして、彼女が行った治療方法とは以下のようなものであった 

War Emblem sires classic winner
"He has had fertile sperm, but for several years has remained selective about which mares he would cover," McDonnell said in the release. "His therapy program, which commenced in early spring, consists of a combination of changes in housing and management to naturally build maturity and breeding confidence, changes in breeding shed handling techniques to maximize response, and carefully managed hormone supplementation as needed to boost libido to reduce his mare choosiness while his confidence builds."

 要約:ウォーエンブレムはもともと生殖能力自体には問題は無かったのだけれど、何年かは種付けする繁殖牝馬を選んでいる状態でした。今春からはそれを改善するためにプログラムを作りました。そのプログラムとは馬房であったり種付けに対する自信を生み出すなどの供用方法を変化することの組み合わせることや、種付けへの反応を最大限にするために種付けの際の扱い方を変えること、また種付けをする牝馬を選ぶことを止めさせる為に性欲を高める際に必要なホルモン投与をより注意深く行うようにしたこと等等。。
 こうした関係者の献身的な治療によってウォーエンブレム種牡馬として見事にカムバックすることができたのであった。そもそも、9月終了時点でのアーニングインデックスは2.12と種牡馬リーディング50以内ではオペラハウスの2.22に次ぐ2位の数値、また1頭辺りの平均獲得賞金額は11,493,966とリーディング1位のアグネスタキオンを上回る数値を記録するなど、種牡馬としてのポテンシャルは現役でも屈指の種牡馬であることは間違いない。だからこそ、「種付けさえまともにできれば…」との思いは関係者の間にもファンの間にもはっきりとあったのだ。200頭以上の種付けをコンスタントに毎年こなせる上位種牡馬とは産駒の数では太刀打ちすることができないために、リーディングサイヤーとなるとやや厳しいかもしれない。だが、産駒の質では違う。今年種付けして来年産まれる予定の産駒がクラシックの檜舞台に立つのは2012年の春となる。その舞台に何頭の産駒を出すことができるのか、ずいぶんとまた気の長い話になってしまうが注目していきたいと思う。ただ、「ウォー○○」や「○○エンブレム」みたいに安直な名前がズラーっとクラシックの馬柱を埋め尽くすような事態は勘弁願いたいが…。。